渋谷・コクーン歌舞伎「佐倉義民傳」(シアターコクーン)


6月8日(火)に、渋谷・コクーン歌舞伎の第十一弾となる

「佐倉義民傳」(串田和美 演出)

を見た。

子役の配役と、上演時間は、すでに書いたとおり。
 →http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20100609/p1

「佐倉義民伝」をもとに脚色された、歌舞伎とはまた別物の新しい「佐倉義民傳」といった内容。木内宗吾(勘三郎)がついに将軍家綱(七之助)へ直訴に及び、その後、刑死するまでをえがきつつも、歌舞伎のそれとは異なるオリジナルの展開。今日の世相を映したような人物配置が面白く、芝居も総じて歌舞伎っぽくはないので、ラップを使った音楽と歌舞伎の鳴り物との折衷に、違和感はない。

気になるのは、どろ(土)である。役者が「土」の上で演技するシーンが多く、手足も汚れりゃ、衣裳も汚れる、舞台の上に直接どろがある訳ではないが、それでも役者が大勢、土の上に乗ったり降りたりするものだから、舞台もドロドロ。とにかく、見ていてどろ汚れが気になって仕方がない。

宗吾や百姓衆が「土」の上で、その地に足のついた存在だとすれば、由井正雪の名を騙って一揆を煽ったり、宗吾を直訴へと追い立てる大道芸人駿河弥五衛門(橋之助)は、地に足がつかない、いわば虚業の代表だろうか。終盤、緊張感のある場面から一転、芝居小屋のシーンに換わって、これはお芝居でしたとなるのも、役者という虚業が語り継いで来た義民伝だとする趣きか。

また、渡し守甚兵衛(笹野高史)の姪・おぶん(七之助)は、土地をはなれて江戸へ出て、都市を浮遊するいまどきの少女のようで、渋谷の劇場で演じられる新しい歌舞伎の登場人物に似合った面白さがある。もっと主筋に絡ませて、母との再会もたっぷりと、おぶんの見せ場をつくって欲しかったところ。

佐倉の領民にとっては敵役となる殿様・堀田上野介(扇雀)と家老・池浦主計(彌十郎)は、さながら、鳩山前首相と小沢前幹事長を模したようでもある。堀田上野介は、いいひとなのだが、浮世ばなれした世間知らずで実行力のない藩主。藩政は現実家でこわもての家老が牛耳っている。

江戸へ現れた宗吾を引見したお殿様は、領民たちの窮状を知らされておどろき、善処を安請け合いした挙句に、名主の宗吾を相手に酒まで酌み交わす。宗吾は、殿様が聞き入れてくれたと喜ぶが、家老の介入もあって、藩主の言葉は実行を伴なわないまま、たちまち空手形となる。

歌舞伎ではもうひとつ人物像が不明瞭な幻の長吉だが、この「佐倉義民傳」の幻の長吉(亀蔵)は、辻褄の合った設定が施されている。

直訴ののちの、宗吾が磔刑となる場面は、緊張感があった。女房のおさん(扇雀)とともに、幼な子たちも曳き出され、宗平が斬られ、乳飲み子が息の根をとめられ、彦七も斬られる。キリストが磔になる某ミュージカルもしかりだが、磔刑というのは、たとえ芝居であっても、なんとも妖しく人心を惹きつけ、揺さぶるものがあるのだと思わされた。

カーテンコールは、子役も6人揃って登場。(子役も加わってのラップでは、マイクをつけている子もいた)

ラップといえば、メインボーカル担当がふたりいたが、あの役者2名は、だれだろう?