ひばり伝 蒼穹流謫


齋藤愼爾「ひばり伝 蒼穹流謫」(講談社、1800円税別)

を読んだ。

発売は、6月24日。帯に『没後20年記念出版』とあるが、発売日を、美空ひばりが亡くなったと同じ日に合わせてある。

さて、著者によれば、いわゆる「ひばり本」は、これまでに約410冊もあるのだという。

「ひばり本」と聞いてどんなものが思い浮かぶかといえば、美空ひばり本人による自伝、写真集やムックの類、生前の本人や周辺人物に取材したルポルタージュ、(ノンフィクション・ノベルなど)小説のかたちをとっているもの、身内や関係者が知られざる真実や思い出などを書いたもの、歌手・俳優としての美空ひばり評、日本の戦後や昭和と結びつけた文化論的ひばり論。こんなところだろうか…。

この「ひばり伝 蒼穹流謫(そうきゅうるたく)」は、そうしたいままでの「ひばり本」とは、おそらくずい分とスタンスを異にしていると思う。これまでに刊行されたひばり本やひばり論から主だったものの内容を押さえつつ、流布しているひばり伝説やひばりを襲った「事件」を精査しながら、著者なりにひばり伝を読み直して行くといった趣きだ。その手法も、芸能人を対象としたときにありがちなジャーナリスティックなものではなく、いわば、文芸批評のそれである。

そのため、他著からの引用がとても多いし、新たな真実が披露される訳でもないので芸能本的な面白さには欠けるのだが、文芸評論の手法で美空ひばりという人物を読み解くという作業が、伝記的事実や著名なエピソードの再検証、あるいは、美空ひばりを考える上で避け難いテーマの再確認にもなっていて、それは同時に、主な「ひばり本」たちへの評価でもある。

これまでの「ひばり伝」を踏まえての、ひばり伝研究概論とでもいうべき本にもなっていて、とても面白く読んだ。「<河原>と<梨園>」「<異形者>の系譜」の二章や、サトウハチローをはじめとしたバッシングとひばりの声についての部分などは、とくに。

文芸批評だからこその読み応えを感じながらも、もう一歩、ジャーナリスティックに踏み込んだものが読みたいと思うところもあった。美空ひばりというひとは、没後20年で、文献や資料による人物研究の対象にしてしまうには、まだ早いような気もするのである。


巻末には、「美空ひばり年譜」があって、便利。(出来れば、本文中に取り上げたものだけでも「ひばり本」や資料のリストを付けてくれたらと思ったが、無理難題というものか?)


ところで、「ひばり伝 蒼穹流謫」は、著者が子ども時代を飛島で過ごしたことから書き出される。

飛島(とびしま)といえば、島田荘司の「飛鳥のガラスの靴」に出て来る、あの「飛島」だ。飛島の二文字が、冒頭から、読者である私を強く惹き付けた。