「ムサシ」(彩の国さいたま芸術劇場)を観劇


3月27日(金)に、彩の国さいたま芸術劇場 大ホールで、

「ムサシ」
(吉川英治宮本武蔵」より) 井上ひさし 作、蜷川幸雄 演出

を見た。


当初は、会場まで自転車で往復するつもりでいたが、「ムサシ」観劇後は、池袋で前日と同じ芝居を見ることにしたので、ケッタは取りやめて、電車にての見参(←ちょいと時代劇ふう)。


公演プログラムが、1800円。稽古場写真収載の白い表紙のものと、写真が舞台写真に替わったらしい黒い表紙のものと売っていたので、白い表紙のほうを購入。

そのプログラムの広告によれば、「ムサシ」も集英社から戯曲が発売予定とあるので、公演が終わったら出るのだろうか…
 →(4月7日発売の「すばる」5月号に掲載された模様)


午後1時30分開演。

場内表示の上演時間は、
一幕 1時間45分。休憩 15分。二幕 1時間35分。(じっさいは、もう数分長くかかった)


配役(カッコ内は劇中の年齢)は、

宮本武蔵(29→35): 藤原竜也
佐々木小次郎(23→29): 小栗旬
筆屋乙女(20): 鈴木杏
沢庵宗彭(46): 辻萬長
柳生宗矩(48): 吉田鋼太郎
木屋まい(50超): 白石加代子

平心(28): 大石継太
浅川甚兵衛(不詳): 塚本幸男
浅川官兵衛(不詳): 高橋努
忠助(40前後): 堀文明
只野有膳(不詳): 井面猛志


この日は、持っているチケットのなかでは前方といえる席で、1階席ひと桁列目の真ん中近い席。とくに好きな俳優が出ている訳でない身には、適度な距離感で、視界もよく、充分な良席だった。

蜷川演出ではおなじみの、客席通路を使ったキャストの出入りがあるが、通路は、下手側しか使っていなかった。


すでに、新聞の劇評や記事等でも知られているとおり、吉川英治の「宮本武蔵」のそれからを、6年後の後日談として、佐々木小次郎が生きていたという設定でえがいたオリジナル脚本である。「吉川武蔵」でのラストシーンが、「ムサシ」のプロローグになっている。

戦時中に書かれた「吉川武蔵」は、剣をもって相手を倒し、勝ち続けながら成長する武蔵を主人公にして、教養小説的趣きもある長編だが、今日、最も有名な剣豪小説として普遍的な知名度を持つ。今回の舞台「ムサシ」は、その「吉川武蔵」のパロディとして書かれた後日談で、武蔵と小次郎が再会しながらも、戦わないという選択をするまでの話である。

「吉川武蔵」が時勢を反映していたように、「ムサシ」では、いまだに戦争や国家間の紛争が絶えない状況への批判を笑いのオブラートに包みながら、井上ひさしらしい、戦争や報復の回避という結末へと導く。それは、また、吉川英治が書いて定着した宮本武蔵像からの転換の試みでもあるのだろう。

柳生宗矩を、侍に刀を抜かせないことを考える人物として登場させるとともに、能狂いだったという史実を取り込んだのが面白く、昨今、剣豪としての評価は凋落傾向で敵役のイメージが濃くなっている柳生宗矩という人物を、ユニークかつ新鮮に見せている。


ときに爆笑を呼ぶ、喜劇的で軽妙な展開のなかに、たまに訪れる静寂や緊張、竹林のざわめきなどが、アクセントとしてよく効いている。

「どんでん返し」がある訳だが、演劇としてはよくある手法だから、武蔵が仕掛けに気づくところで、観客にも大枠が読めてしまう。作品への期待が大きかっただけに、出来れば、その後に、もうひとひねりが欲しかったところ。また、自殺の問題まで持ち出したのは、ちょっと盛り過ぎな印象。


武蔵と小次郎は、揃って、それらしさが不足気味で、とくに、小次郎は剣客というには遠い風情。ただし、この舞台は「吉川武蔵」のパロディで、いまの世界や世相を背景にした芝居だから、武蔵、小次郎も、現代の青年らしさが透けるほうがいいのかも知れない。あるいは、もし、ふつうに「吉川武蔵」を上演していれば、両優とも、もっとそれらしかったのではないか。


子狸が兎に復讐する新作能の「落ち」(結末)が、おもしろ過ぎる。

再見を楽しみにしたい。

[追記]
 4月2日夜の観劇。http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20090404/p1
 4月10日昼、11日夜の観劇。http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20090412/p1