第十二回みつわ会公演「町の音」「釣堀にて」(六行会ホール)


3月17日(火)に、六行会ホールで

第12回みつわ会公演
久保田万太郎作品その19
「町の音」「釣堀にて」
  (演出:大場正昭)

を観劇。
過去ログのこの(http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20090104/p3)公演である。


全席自由。配役表が入場の際にチラシ類とともに配布。

17日は、午後7時開演。上演時間は、

「町の音」が、1時間15分。休憩 15分。「釣堀にて」が、45分。

カーテンコールは、なし。


久保田万太郎作品を上演するみつわ会の公演を見るのは、2年前の第10回公演以来、2回目である。
 (「雪」「舵」→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20070405/p3)


参考までに、配役を書いておくと、

「町の音」

おふさ(寡婦): 吉野由志子
おつる(おふさの息子・長太郎の女房): 谷川清美
まち子(おふさのもらひ娘): 小笠原茜梨
藤吉(おふさのずっと前の夫): 鈴木智
常次郎(おふさの隣人の骨董商): 重松収
しん子(常次郎の長女): 吉田久美
千枝(落語家): 世古陽丸
玉吉(玉ずしのあるじ): 伊和井康介
おたみ(玉吉の女房): 大原真理子
おしま(おつるの友だちの女師匠): 河合もり恵
小をんな(近所のもの): 小林亜紀子


「釣堀にて」

直七(老人): 梅野泰靖
信夫(青年): 宇宙
おけい(芸者): 前田真里衣
春次(芸者): 片岡静香
和中(幇間): 江幡高志
釣堀の小をんな: 中村繭古


開演前の場内アナウンスによれば、タイトルの「町の音」は「まちのおと」と読むようだ。

「町の音」も「釣堀にて」も、芝居=娯楽と考えれば退屈な作品だが、今回上演の2作は、ともに、脚本に趣向があり、その作者の仕掛けを楽しむ姿勢があれば、なかなか面白く見られる。


「町の音」は、いくつかの場を連環させて、劇中の人物たちの関係と事情を観客の前に提示するという芝居。前の場の会話の意味が、後の場の別の登場人物の会話を聴くことで明らかになったり、ある人物の家族が後の場に登場して、前の場の登場人物の事情と繋がるというような、場が重なるにつれて、人間関係が観客の頭のなかで結ばれ、主要人物たちそれぞれの事情が明らかになったところで、幕になる。最初は、いったい何だろうこれは、と思って見ていたのが、芝居の構造に気づくと、なるほどと、面白くなる。

小笠原茜梨ちゃんは、あやとりをしていて「おねむ」になる役で、そのあと、舞台上手側にある部屋で寝てしまうのだが、この、子役のまち子が寝る部屋のふすまは、しばらく半開きになっている。だから、客席前方、下手側端の席に座れば、寝ているまち子が少し見えるのではないかと思ったが・・・前から数列目のほぼ真ん中の席に座ってしまったために、適わなかった。

あやとりのときも、小笠原茜梨ちゃんのまち子は、下手側を向いて座しているので、この「町の音」で子役を見るには、たとえば、A列かB列の4番の席がよさそう。といっても、2度見る予定はないから、いったところで、あとの祭りだが。


「釣堀にて」も、戯曲の仕掛けが面白い。全ての事情が分かるのは、見ている観客だけ、という芝居である。

老人と青年が釣りをしている。青年は老人に気を許し、親とひと悶着あって家を出たことなどを語る。途中に、この青年の母親が彼を連れ戻すべく、友だちで同業の芸妓とともに、彼を実父と対面させようとはかるが失敗するという場が挿入される。観客はこれによって、釣堀の老人と青年こそがその親子なのだと察するが、ふたりはお互いにそれと知らぬままに、釣りを続けるうちに、幕となる。

私の集中力や理解力にも問題があろうけれど・・・前半に青年が語る話が頭に入って来にくい。


なお、みつわ会は、2010年も3月に同じ六行会ホールで公演予定とのことである。


余談だが、大笹吉雄「女優 杉村春子」(集英社)によると、杉村春子は、「町の音」ではおつる、「釣堀にて」では春次を初演から演じて、ことに春次は評判がよかったとある。「釣堀にて」は再演を重ねている。