ファントム (青山劇場)


2月22日(金)は、青山劇場で、ミュージカル「ファントム」を見た。

過去ログのこの(http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20070406/p1)公演である。


午後2時開演。ロビー表示のタイムテーブルは、第1幕 2時00分〜3時20分、休憩15分、第2幕 3時35分〜4時55分。

2月22日は千秋楽だったため、主演者からの挨拶、またカーテンコールも繰り返されて、10分ほど長引いての終演だった。

公演プログラムは、2000円。


何よりも、まず、大沢たかおという俳優の人気に驚く。
青山劇場公演は開幕前からチケットは完売していたし、立見も前売りで出していた。

映画やテレビの人気が意外と舞台での集客に反映しないケースは珍しくないのに、この舞台の主役は本当に人気があるのだと実感。私などは「子ぎつねヘレン」ぐらいしかまともに見ていないから、公演会場の盛況ぶりにはびっくり。開演前のロビーには「ファントム・フォトブック」を買う行列が出来ていた。いわゆるミュージカルファンよりも、主演俳優を見に来た観客が多数を占めていた感じ。


劇団四季が現在も翻訳上演しているロイド=ウェバー版の「オペラ座の怪人」では、マダム・ジリーのセリフにそれらしい言葉は少し出るものの、ファントムについての核心は謎のままにして、その謎がファントムを陰影に富むキャラクターとして修飾し、自ら姿を消す幕切れにもミステリアスな格好よさがある。
それに対し、この、アーサー・コピット脚本、モーリー・イェストン作詞・作曲の「ファントム」は、彼の出自や両親が誰れなのか、容貌やオペラ座の地下室に暮らしている事情、クリスティーンに執着する理由など、ファントムの存在に関わる謎が舞台の進行とともに詳らかにされ、最後は彼の死をもって結末を迎える。謎というベールを剥がされて行くファントムは、もはやファントムではなく、じっさい、このミュージカルでは、エリックという名前を持つ青年としてえがかれる。

プログラムのキャストインタビューで主演俳優が「引きこもり」という言葉を使っているが、闇のなかに育ち、引きこもっていたエリック(大沢)が、オペラ座の支配人の交代とクリスティーン(徳永えり)の歌声に誘われて外界と関わったことで起こるドラマと見れば、現代的で切実な悲劇として、このミュージカルの主人公に共感し得る。

二枚目俳優がその貌を仮面に隠して演じるというシチュエーションは、ロイド=ウェバー版「オペラ座の怪人」を山口祐一郎が演じていた頃を思い出させるが、この「ファントム」では、マスクの下のエリックの貌はロイド=ウェバー版のようにはつくっていないし、ラストシーンでマスクを取ったときにはきれいな貌になっていて、闇が浄化されたような幕切れ。

また、エリック、クリスティーン、シャンドン伯爵(パク・トンハ)のトライアングルよりも、エリックとキャリエール(伊藤ヨタロウ)の子と父のドラマが強調される。ヒロインのクリスティーンは、ベラドーヴァ(エリックの母で、かつてのプリマドンナ姿月あさとの映像出演)そっくりな声の持ち主として現れるから、エリックのなかでは母親の記憶とつながり、クリスティーンへ抱く愛情は、母恋いでもあるという設定だ。クリスティーンが、冒頭で客席から登場したときの純朴で垢抜けない雰囲気のまま終始するのも、このミュージカルではクリスティーンとの関係よりも、エリックの出自や生い立ち、父親との関係のほうにドラマが傾いているからだと思えばいいだろう。


クライマックスに到ってのフライングシーンをはじめ、仕掛けや装置も、楽しめた。メインキャストを、一般的なミュージカルでは馴染みの少ない名前が占めていたことは、私には新鮮だった。

主人公の歌唱は、総じて自分がうたっているうた、という印象。客席に聴かせる(歌詞を届けるような)うたい方をしてもよかったのでは? 音楽は生演奏だが、セットの裏での演奏だったのか、私の席からは、カーテンコールでミュージシャンたちが登場するまで、視認出来なかった。いいナンバーがいくつかあったが、これを書いている時点では、記憶もおぼろげになっている。

カーテンコールは、いちばん最後にエリック、ひとつ前がクリスティーン、その前がキャリエールで、シャンドン伯爵よりもエリックの父親のほうが後になる順番。このあたりからも、役柄の比重が察せられた。




ロビーに、「アニー」のチラシがあったので、よろこんで持って帰って来た。