放浪記(シアタークリエ) 1月24日


昨日、1月24日(木)は、シアタークリエで「放浪記」を見た。午後1時開演。シアタークリエでは、初日以来2回目の観劇だ。

今回は、ホワイエにいた女給姿の「クリエちゃん」もちゃんと確認して来た。

入・退場も、幕間の時間つぶしも、日比谷シャンテとの連絡通路を使うのが便利だ。


第三幕、尾道の場のセットの変更は、堤防の歩道と階段をなくして、替わりに、尾道の家の裏手に、船と(段状の)石垣が左右に置かれた、と書くと、説明としては分かりやすいのかな。
初日の雑感(http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20080108/p1)での書き方では、なんだかややこしかったので、そちらも文章を直してみました。


その第三幕で、石垣に上がって、「ここ(のどのところ)までごはんがはいっとるよ」という行商人の子、1月24日の出演は、竹内祐稀ちゃん。


子役ふたり(今津凪沙さん、竹内祐稀さん)は、今回のシアタークリエ公演では、どちらもかなり上手い。家に上げてもらってご飯を食べるときのセリフの呼吸やいい方など、大いに見どころだし、子役ふたりの持ち味や、特徴を探すおもしろさもある。

食べ終わって家を出てからの芙美子とのやり取りで、行商人の夫婦が芙美子に礼をいったり頭を下げるなか、お腹いっぱいになった女の子はもう気持ちが先へ行っていて、子どもらしい現金さで「はよう、はよう」と父親を促しながらその場を後にする。
その親子3人の姿と、行商人の子にかつての自分を重ねて見送る芙美子の対比、恭助との別れの苦みをひきずる幕切れが哀感を誘う。


24日の第一、二幕は、座長さんのセリフが少し不安定だった。たとえば、本郷の下宿の場で、下宿のおばちゃん(内儀)が見つけた伊達春彦宛ての日夏京子からの手紙について取り繕うセリフが、「伊達と同じ会社の」になってしまった。「会社」じゃないのにどうするのかなと思ったが、「同僚」と続けて、変ではあったがなんということもなく進行した。


それにしても、第五幕の落合の家の場は、本当にすばらしい。今回のシアタークリエ公演では、この場を見ることを至福と思う。


24日の観劇の後で、確認したいシーンがあって、2005年3月、芸術座での最後の「放浪記」がテレビ中継されたビデオを見返したのだけれど、2005年の舞台での森光子さんは、動きといいセリフのキレといい、いまとは全然ちがっていて、それは、私自身の記憶以上だった。

(芸術座での上演時間からすると、前回の帝劇公演では12、3分長くなり、今回は上演時間がさらに2、3分ほど延びている。これも、畢竟、ここ3年という時間の経過が主因だったということだろうか…)


確認したかったシーンというのは、尾道の場の舞台の回し方で、行商人親子がご飯を食べていると、香取恭助が訪ねて来る。芙美子が玄関に出て、子役の「ごはんはまだあるん?」で舞台が回って、芙美子と恭助のシーンになるのだが、シアタークリエではここで右回り(=時計回り)に舞台をまわしているが、かつての芸術座公演では左回りにまわして、芙美子と恭助は玄関前で回り舞台に乗ったままで家の裏手へ場面転換していた。

次回の観劇では、セットが替わったここの転換を、もっとよく見てみよう。


劇場へ行く電車の中で、「婦人公論」2008年2/7号(中央公論新社、550円)を読んでいたが、巻頭の森光子さんのインタビュー(表紙の私)、後編は次号だってさ。つづくのかいな、そりゃないよ(苦笑)。