コピスみよしオリジナルミュージカル「カーソル」を観劇。(その2)


承前(「その1」は、http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20070827/p1)

(8月26日に見た) コピスみよしオリジナルミュージカル「カーソル」は、地元の三芳町を舞台にした、こんなストーリーだ。


由美と清文は教師で、それぞれの教え子たちを引率して復元された寺子屋に社会科見学にやって来る。ふたりの友人で芋農家の悟郎も、清文から子どもたちのためにと頼まれていた差し入れのお芋をふかして、寺子屋に赴く。3人は小学生の頃からの友だちで、冒頭に、子ども時代の回想シーンがある。

雨が降り出した寺子屋では、清文が物語をはじめる。寺子屋の関係者や、集まっていた大人たち、子どもたちが、寺子屋にあった仮面や道具も使って、清文が語るストーリーを劇中劇として演じる、というのが大枠の設定だ。

ミュージカルのメインストーリーは、清文が語るかたちの劇中劇であり、由美は脚本家、悟郎はやはり芋を作っている青年だ。近未来の三芳町には映画のスタジオがあって、由美は、日本のことなどろくに知らないハリウッドの監督から、「寺子屋に音楽教師が赴任してうたを教える」という荒唐無稽な設定の脚本を依頼され、途方にくれている。と、パソコンのカーソルの異変が原因らしい不可解な力で、彼女は天保年間の寺子屋にタイムスリップしてしまい、そこで、江戸時代の子どもたちにうたを教えるという体験をする。

たとえば、演劇のタイムスリップものは、行った先で主人公(たち)が苦難や悲劇、対立に巻き込まれて、それを解決したり乗り越える経験をすることで、成長し、また大切なことに気づいて、もとの世界に帰るというのが常套のひとつだ。

が、「カーソル」では、そんな常套にははまらず、このあとは、タイムスリップが繰り返される。最初は由美ひとりがタイムスリップしたが、次には男友達の悟郎がタイムスリップに巻き込まれ、さらには、悟郎に加えて江戸時代の寺子屋の教え子姉弟(この弟役が萩原悠太くんだ)もタイムスリップに巻き込まれてしまう。時間の流れのちがいが原因で江戸時代からやって来た姉弟が苦しむ。タイムスリップ出来る回数は、由美のパソコンの異変で現れたカーソルの数と関係しているのだが、姉弟を江戸時代へ帰すために悟郎がワープロを操作し、ふたりを連れて最後のスリップを試みる。

悟郎は、江戸時代の三芳で未来のために芋の研究をすることを決意し、また由美は、タイムスリップを重ねるなかで自然破壊や暴動が起きているさらに5年先の未来の三芳町を垣間見ており、そんな未来にしてはいけないというメッセージが最後に織り込まれて、フィナーレとなる。

こんなストーリーの随所に、清文と由美の教え子や江戸時代の寺子に扮した子ども出演者たちのダンスシーンやうたが挿入される展開だ。


由美役、悟郎役など、メインは大人のキャスト。意外と(というと失礼だが)しっかりしていて、アマチュアなのかセミプロなのかは知らないが、大人の中心メンバーは、何か経験があるひとなのでしょうね。寺子屋の師匠役のひとにしても、声楽経験がなければあんな声は出せないだろうし。


「カーソル」では、タイムスリップの繰り返しと、由美と悟郎の間のほのかな恋愛感情以外には、これといった大きなドラマがない。全体に、もっと面白く創れるはずなのに、あえてそこには踏み込まずに仕上げたようなミュージカルだ。
これは、意図的に、登場人物が激しく対立・反目するような場面は出さず、悪役を登場させず、劇中でひとが死ぬなどの悲劇性を避けて、創ったと理解していいのだろうか。もしそうなら、それなりに上手く創ったとはいえそうだ。稽古に関して制約があったことは観劇前にプログラムで読んでいたし、住民参加型ミュージカルという性質上、舞台の内容にも制約なり意向があったのかな?と想像してしまったが、部外者の穿ち過ぎだろうか。

ただ、せっかく子どもたちのダンス(&うた)が何度もあるのに、さあ、これからというところで終わってしまう感じは、見ている側からするともったいない気持ちがした。ミュージカルナンバーに、もっとショーアップする曲があってもよかったのでは…


ミュージカル「カーソル」は、劇世界が三重構造になっている。「現在」という大枠があり、その「現在」において語られる劇中劇の「いま=近未来」があって、その劇中劇のなかでのタイムスリップ先である「過去と未来」という3つの「とき(時)」が入れ子型の構図になっている(もっといえば、「現在」から見た由美、悟郎、清文たちの小学生時代の回想もあるが、冒頭のプロローグ的シーンなのでこれは別に考えたい)。

劇中劇のストーリーが進行するにつれて、もともとの大枠を忘れて、一般的なタイムスリップもののように、タイムスリップ先と元の世界のお話として舞台を見るようになっていて、フィナーレになった途端、あ!いままでのは劇中劇として登場人物のひとりが語っていたお話だったんだ、と気づいて我に返る、という効果があった。これは発見で、ドラマ性はもうひとつなのだが、それとは別の構成の工夫が面白かった。


子役のなかでは萩原悠太くんは目立つ役をしていたが、じつは、その姉役を演じた女の子(瀬畑麻衣花さん)が上手い。また、江戸時代の子どもたちの衣裳が、黒の膝下スパッツに着物という姿で、これが、なかなかに かわいく見えた。

装置がけっこう凝っていたのが、印象的。


カーテンコールには、池辺晋一郎氏をはじめ、演出家、振付家も舞台に登場した。