七月大歌舞伎「NINAGAWA十二夜」再見


7月28日(土)に、歌舞伎座で、七月大歌舞伎「NINAGAWA十二夜」を観劇。夜の部で、4時30分開演。

24日夜の部につづいて、2度目の観劇。

チケットは、観劇日の3日前に出て来たのを押さえた5000円の座席だが、その翌日には、1列前が出ていた。ま、こういうのはタイミングだから仕方がない。

チケットを取った時点では、29日(千秋楽)の夜も同じ席種が取れたのだが、もし29日にしていたら、家を出る頃には滝のような大雨で、開演に間に合わないか、ぬれねずみになっていたにちがいない。

28日は猛暑だったが、帰路、上野駅や周辺が大変な人出で混み合っていて、何の騒ぎかと思ったら、隅田川の花火があった模様。(だから、あんなに浴衣だらけだったんだ…)


歌舞伎座は、土曜日だったからか、「NINAGAWA十二夜」だからなのか、若いお客さんがずい分と多かった印象。

NINAGAWA十二夜」は、普段の歌舞伎とちがい客席が暗くなるのと、おそらくは演出効果のために、序幕は、開演後しばらくは途中入場出来ないので、開演に間に合わないと、合唱隊の子役を見ることが出来ない。

その子役は、24日夜と同じ3人。
http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20070725/p5
(ねらって行った訳だから、ちがう子だったら、大変である)

幕開きのフレッツちゃんたちを見ていたら、なんだか、急に視界がさえぎられて、子役が見えない。のは、花道から誰れか(←誰れかってか…)出て来た途端に、前のお客さんが身体を乗り出しているのだもの。あなたの見たい役者はきっとこれから3時間にわたって舞台に出るが、私の見たい役者は10分も出ないという事情に鑑みて、その間だけ動かないで欲しいと切実に思った(笑)。が、これは観客同士のこととて文句もいえないが、子役がうたっているのに五月蝿い大向うには、うんざりした。後の場で好きなだけ掛けたらよかろうにと思うと同時に、そもそもこの芝居の、序幕第一場に掛け声は全く似合わない。


その合唱隊。内田千晶ちゃんや吉田愛美ちゃんたちがうたっていたのは、あれ、いったい何のうただったのか?と思って、検索してみたら(主として、2005年の「NINAGAWA十二夜」について書かれたものを)、賛美歌の「久しく待ちにし(ひさしくまちにし)」というものらしい。

これですね。↓(どちらも音が出ますので注意)
http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/xmas/Veniemma.html
http://www17.ocn.ne.jp/~sanbika/b094.htm

賛美歌をうたうから、それで、あんな伴天連少年みたいな衣裳を着ていた訳なのね。


さて、2回目の「NINAGAWA十二夜」で思ったこと。

先日の観劇雑感(http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20070725/p5)で、菊五郎丈が丸尾坊太夫捨助の2役を兼ねているのがポイント、みたいなことを書いたが、座頭役者が坊太夫を演っているのには、おそらく他にも意図がある。身分ある者たちから騙され笑いものにされる成り上がり者の坊太夫を、役者に階級がある歌舞伎の世界ではトップにいるひとが演じることが、この芝居では重要なのだろう。決して悪人ではない坊太夫の騙されぶりを、観客が素直に笑って楽しめるのは、実際は彼こそがカンパニーのなかでいちばん身分が上の役者だと知っているからだし、そんなキャスティングを受け容れる歌舞伎の「ふところ」をもまた味わうことになる仕掛け。

もし、同じ出演者のなかから、別の役者を丸尾坊太夫に配するのなら、坊太夫をもっとあからさまな敵役にでもして、勧善懲悪的なえがき方にしないと、おさまりがよくないのではないか。


序幕の、紀伊国串本・港の場で、鯨をひく漁師たちと座頭の一団がすれちがうが、あれは「座頭鯨」に引っ掛けた洒落なのかしら。やたらと可笑しいシーンになっている。




ところで、フレッツちゃんて、歌舞伎座に出る前には、北海道でキャンペーンなんかしていたんだね。
http://kabegami.at.webry.info/200706/article_31.html