時代の証言者 中村吉右衛門 6



読売新聞朝刊に連載の「時代の証言者」

歌舞伎俳優 中村吉右衛門の第「6」回(5月17日付)は、『虚弱体質で勉強も遅れがち』



前回につづいて、子役時代から中学にかけての話。



小さい頃から身体が弱かったという。『どこが悪いというのではなく虚弱ですね。



1950年5月、6歳のときのこと、映画会社が古典保存の目的で、初代吉右衛門の「寺子屋」を撮影した。初代の松王、実父幸四郎の源蔵、菅秀才が兄(現幸四郎)。この収録で小太郎を演るために名古屋の御園座へ行った。

「寺入り」がすんで奥へ入るのですが、ライトの暑さと緊張で舞台裏に入ったとたんにもどしました。

 多少熱が出ても舞台に出なければいけないということは頭に入っていました。舞台の裏で吐いても、後の出番になると出るんです。そこはやっぱり役者の子かなと思います。




勉強は嫌いではなかったが、勉強せず、暁星小学校では、クラス33人中32番になってしまったことがあった。

 『ばあやが怒ってね。情けないって。兄貴は級長をしていました。

「お兄さんは級長になっているのにあんたはなんですか」と。「将来吉右衛門になる人が情けない」。


勉強したら副級長になった。



今井正監督の映画「夜の鼓」では、京都で風邪をひいて寝込んだ。

3学期をひと月ぐらい休みました。勉強も遅れてしまいました。

 暁星では、なんとか中学に上げてはくれたんですが、やはり勉強にはついていけなかった。そういうときに頑張れる体力がある人はうらやましいですね。








・・・吉右衛門さんが身体が弱かったというのは、むかしのことを知らない私などには、意外な感じ。