モーツァルト! 8月19日昼(帝国劇場)



8月19日(金)は、帝国劇場で、ミュージカル「モーツァルト!」を観劇。

午後1時開演。



井上芳雄のヴォルフガングに、伊藤渚のアマデ。



伊藤渚さんのアマデを見ていると、このアマデがきっと王道なのだ、と思える。過剰でなく、端正に、そして常にそこにいてヴォルフガングを見ている。そんな静的な存在感のなかに凝縮される感情が、シンプルにしてまた劇的。



加えて、だんだん背中(後ろ姿)に感情が見えて来るようになった(…のは、私が、そう見たいだけかも知れないが)。





このミュージカルの歌詞(というか訳詞)は、意味深長に書かれているところがあって、(とくに、コンスタンツェに)見えないはずのアマデの存在をほのめかすようなことをいわせる。また、大司教の館に乱入したヴォルフガングがコロレドに向かって「僕にも武器はある、才能だ」とうたうけれど、その武器(=アマデ)は、彼にとって諸刃の剣であるところが、ミソ。





この日、第二幕、「仮面舞踏会」の次の場、セシリアと姉妹たちが訪れての「借金の手紙」で、コンスタンツェが服を着るのにかなり手間取っていたのが気になった。

(7月の中川・西田ペアだと、着やすいように、ヴォルフガングがちょっと手伝っていて、それがいい感じに見えた)





カーテンコールのあと、オーケストラの演奏が終わって、そのあとの緞帳前は・・・

井上ヴォルフガングが先になって、伊藤アマデと手をつないで下手から登場 →舞台中央で、(向かって)右にアマデ、左にヴォルフガングといういつもの並びになって、井上氏の「Fow〜〜」みたいな声に合わせて、ふたり手を挙げて →上手へ行って →オケピットにかかった橋の上へ →再び舞台中央へ戻って、手をつないだままで、外側の手でお揃いの投げキス。そして「オーケストラに拍手」

井上さんがアマデをおんぶして、なぎさ嬢が客席へ手を振りながら、下手へ。そのまま引っ込むかと思ったら、下手の端でちょっと立ち止まって、渚ちゃんが左手でブイサイン。あと、どのタイミングだったか、井上さんが2回、「さよなら」っていっていた。



  

ところで。



2002年10月の日生劇場で、「モーツァルト!」をはじめて見たときの衝撃は忘れられない(とくに、第一幕の幕切れ!)が、見終えたとき思ったのは、「モーツァルト!」はモーツァルトのお話だけれど、天才と称えられた華やかな子ども時代を持った青年が、大人になって、どう自分の人生を歩むのか、という普遍的なドラマが根っこにあるのだということ。



たとえば、天才と絶賛され人気を誇った「名子役」が、過去のイメージと戦いながら成長し、自分の道を切り開き、大人の役者として「まことの花」を咲かせることが出来るか、というドラマを重ねてみたい。



息子の成功に人生をかけるステージパパ(レオポルト)、かつてはともに子役としてスポットライトを浴びた姉(ナンネール)、彼を新境地に導く作家兼興行主(シカネーダー)、子役時代からの有力贔屓筋(ヴァルトシュテッテン男爵夫人)、何かと裏で手を回して圧力をかける大手芸能プロダクション社長(コロレド)、遺品からエピソードまでをも買い集めるマニアックなコレクター(メスマー)。・・・そして、客席には、それを見ている観客、ファンという移り気な人びと。



初演からヴォルフガングを演じている両優がともにすばらしいことは、論を俟たないが、それとは別に、もし、子役時代から活躍し、ミュージカルの主役をはれる俳優が、このタイトルロールを演じたらどういう「モーツァルト!」が生まれるのか。それを見てみたい誘惑も、消しがたいのである。