ロミオとジュリエット (12/27夜)



日生劇場で、「ロミオとジュリエット」を観劇。

12/27(月)、午後6時半開演の夜公演。



前回 12/14(火)昼 と同じく、2階席の後方、7000円の座席から見た。



2度目なので、先回は気にならなかったことが、きっと気になってしまうだろうと思っていたら、しかりで・・・

先回観劇時(14日分の)観劇雑感 で、

蜷川幸雄演出らしく、脇を固める若手男優陣の役作りは柄が悪いのだけれど、その柄の悪さが余り気にならなかった。

と書いたけれど、やはりこれは気になってしまった。

それと関連して、パリス伯爵(=月川勇気というひとが演じている)が(別の意味で柄が悪く)魅力的に見えないため、パリスについて語られるセリフをどう解釈すればいいのかと悩んだ。



二幕のジュリエットは、少し過剰に感じられた。

あんなにわめきつづけ、泣かれては、いささかげんなりである。「いま」の感覚なら、ロミオと手に手をとって逃げればいいのに、と思うところで、それが出来ない枷、というか、時代的なものがいまひとつ実感として見え難く、ジュリエットの悲嘆がじれったくなってしまう。ジュリエットの置かれた窮地に対して、想像を重ね辛いところがある。



とはいえ、あれだけやって嫌味にならないのは、鈴木杏さんの若さ、資質にちがいなく、もっといえば、他の女優ではあり得ないジュリエットだろうし、さらにいえば、この舞台の演出自体が、藤原竜也鈴木杏というふたりを得なければ、あるいは成り立たなかった貴重なものなのだ。



あと、高橋洋というひとが、蜷川芝居のポイントを握っているのかな。「ハムレット」のホレイシオ、この舞台のマキューシオ。高橋洋さんの演技を見て、いいと思えるか否かが、昨今の蜷川氏演出作品に浸れるかどうかの分かれ目になるのではないか?



そんなことを思ったこの日の観劇だった。



先回も書いたが、重ねて、神父ロレンスの瑳川哲朗さんが、すばらしくいい。





(ところで、藤原竜也氏がセリフをしゃべるとき、手を口のあたりに当てるのは、あれはくせなのかしら。「ハムレット」のときは役作りでしているのかと思ったが、ロミオでもしていたから…)





 終演は、午後9時42分頃であった。