ロミオとジュリエット



日生劇場で、「ロミオとジュリエット」を観劇。



14日(火)の昼公演で、午後1時開演。

ロビー掲示のタイムテーブルは、

一幕、〜2時20分。15分休憩。二幕、〜4時5分。

この回の実際の終演は、午後4時9分頃だった。





ロビーから客席へ入ると、薄暗く、舞台には緞帳も幕もなし。

ただし、開演前にはセットが見えないようにか、暗い舞台から客席へと照明が向けてあり、独特の雰囲気が、まず心地いい。





ミゼット役者の「口上」があって、開演すると、高く聳え立つセット。

そこに無数の人びとの「顔」写真(プログラムによると「愛に死んだ若者の遺影」の群れ)が嵌め込まれていて、その浮かび上がる顔を背景に、ドラマが進行する(セットに貼りめぐらされたその顔と、客席からの観客の視点で、舞台はまんべんなく見つめられる格好だ)。・・・「顔」が遺影なら、ステージ上の装置全体が、巨大な墓碑のように見えなくもない。



セットは、一見 聳える高い壁のようだが、半回廊ふうに通路が二階層に設けられていて、ステージ床を1階とすれば、いちばん上が3階になるかたち。その高さたるや、見ている側の足がすくみそうだ。断崖の細路さながらの半回廊を行き来し出入りし、立ち回りまでが演じられるから、ドラマの緊張感に加えて、視覚的にもスリリング。さらに、そのセットには、ロッククライミングの足場のようなものが付けられていて、ロミオをはじめとする若手男優陣が登ったり降りたり。その「縦の動き」が台詞劇に起伏を与えて、退屈させない。



ジュリエットとロミオによる いわゆる「バルコニー」では、藤原竜也のロミオが、ジュリエットのいる頂(いただき)へと、高い壁を伝って駆け上がる。とめどない若さと、恋する情熱を象徴するシーンだ。



主役のふたり。

藤原竜也は、ハムレットで見せたような際立ったセリフの上手さやカリスマ的な存在感は鳴りを潜めているが…、さわやかさと品のよい浅薄さをまとったロミオは、繊細かつ躍動的だ。



鈴木杏は、(ヘレン・ケラーやオフィーリアのとき同様に) 健康的なビジュアルで 熱演している。その熱演ぶりが、恋の熱に浮かされたジュリエットのほてり具合にシンクロして映り、上手い下手をはるかに超越した輝きに満ち、圧倒的。

もし今後、二十歳を過ぎたような(年増)女優の演じるジュリエットを見ることがあっても、絶対に満足出来ないだろう、と思う。



ひと言でいうと、「ロミオとジュリエット」というのは、14歳のジュリエットがロミオとやっちゃう、っていう芝居なんだな、と思い知らされる。

「悲劇」だけれど、若いふたりの恋は、傍から見ると真摯ゆえに滑稽でもあり、そんな「おかしみ」を全般に、ほどよく効かせているところが、また よかった。





プログラムは、1500円。



2階席の最後列からの観劇だったが、(客席通路を使う役者の出入り以外は)見えないシーンは なかった。

蜷川幸雄演出らしく、脇を固める若手男優陣の役作りは柄が悪いのだけれど、今回は、その柄の悪さが余り気にならなかった。

瑳川哲朗の僧ロレンスが、とてもいい。





  以上、敬称略





※[追記] 2回目の観劇(12/27夜)の雑感は、ここ に。