夏がくれば思い出す―評伝 中田喜直


ゴールデンウィークに、

牛山剛「夏がくれば思い出す 評伝 中田喜直(新潮社、1785円税込)
http://www.shinchosha.co.jp/book/314851/

を読んだ。

4月下旬の発売。

著者は、テレビ朝日の「題名のない音楽会」などを手がけた音楽プロデューサー。

「めだかの学校」で春、「夏の思い出」で夏、「ちいさい秋みつけた」で秋、「雪の降る街を」で冬と、日本の四季を作曲したとまで称された中田喜直の評伝である。「喜直」は、本当は「よしただ」だが、だれもそう呼んではくれないので自らも「よしなお」と名乗るようになったという。


中田喜直といえば、校歌をたくさんつくったことで有名だし(巻末には、作曲した校歌・社歌などのリストがある)、また、嫌煙家としても知られた。新聞によく投書していたというが、たしかに、このひとの投書をじっさいに読んだ記憶がある(内容までは憶えていないが)。

生前、といってもずい分前のことだが、「題名のない音楽会」で黛敏郎と対談しているのを偶然見て、日本で禁煙が実現しないことを激しく憤っている様子に、中田喜直というひとはエキセントリックな人物なのだなぁ、と思った記憶がある。この本のなかには、子どもの頃から直情径行で正義感が強かったことや、嫌煙の件以外にもエキセントリックな言動が紹介されている。


最近では、先般読んだ海沼実による伝記「最後の童謡作曲家 海沼實の生涯」
 (これ。→http://d.hatena.ne.jp/kamuro/20090409/p1)
のなかで、著者で実孫の海沼実が、海沼實らの童謡を激しくバッシングした若手(当時)作曲家グループ・ろばの会の代表的人物で、海沼實の命を縮めるに到った確執の張本人として、仇敵のごとく挙げていた名前が中田喜直であった。

この評伝を読むと、中田喜直という人物が、著名な作曲家を父に持ち、東京音楽学校に学んだ音楽エリートだということがよく分かる。その点だけでも、海沼實とは対照的だ。海沼實の曲をうたったのが少女歌手だったのに対して、中田喜直の曲をうたったのは声楽家や芸大出の歌手たちだったというのも、また見事にちがう。合唱の指導は出来なかっただろう(川田正子「童謡は心のふるさと」)海沼に対して、中田は合唱曲の名作で知られている。

この「夏がくれば思い出す」では、童謡をめぐっての両者の対立や、日本童謡協会での確執などには触れていないが、海沼らの曲を『レコード童謡』と書き『レコードになるためには、平明な歌詞と判りやすく唄いやすいメロディが要求され』たのだとするのに対し、中田が童謡に向かったスタンスを、インタビュー記事を引きながら、うたをつくるには専門的な知識と技術が必要で、メロディだけでなく伴奏を重視してつくっていた、また、子どもに媚びてはいけないのだとする。このあたりの記述からも、両者のちがいや対立の背景を読み取ることは出来そうだ。


中田喜直が、自身の経験から、子どもや指の短い演奏者のために、鍵盤の幅を狭くしたピアノを提唱しそれをつくらせたというエピソードは興味深い。細幅鍵盤ピアノを使っている音楽家もいるとのことだが、普及はしていないようだ。

ミュージカルでの活躍もある岡村喬生や、故・友竹正則が、ろばの会でうたっていたというのは、この本ではじめて知った。