劇団若獅子結成二十周年記念公演「国定忠治」


劇団若獅子結成20周年記念公演「国定忠治」〜才兵衛茶屋より土蔵大捕物まで〜(行友李風・作、沢田正二郎演出に拠る、田中林輔・演出)

を観劇。
6月29日(金)の、所沢市民文化センターミューズ マーキーホールでの公演。

当初は4月の国立劇場で見たいと思っていたが、他の観劇と重なったため、この日になった。
最前列にて、劇団若獅子を初体験。

公演プログラムは、600円で販売。良心的な値段の上、座談会は読み応えがある。

国定忠治」の通し上演は、42年振りになるとか。ここで、プログラムからの受け売りでまとめておくと、「国定忠治」は、通常は「赤城天神山から小松原まで」が上演される。今回は、その前に、才兵衛茶屋の場があり、あとに、庵室と土蔵大捕物が付く。映画では、他に「お万の妾宅」と「円蔵捕縛」もあるが、舞台では上演されていないようで、今回の若獅子公演のかたちが、全通し。


午後3時開演。15分の休憩が2回入って、終演が6時半。(客入りは、ざっと見て、1階席に、7割強といったぐらいだったか)


まずは、赤城天神山の場で登場した笠原章の国定忠治の、その堂々たる貫禄。(私の目には、田村正和公演や松平健公演での斬られ役、敵役でおなじみのひとだが) 役者が場を得るとはこういうことなのだろう。子分どもを抑えるあたりの気迫、その大きさに圧倒された。

「赤城の山も今夜を限り…」の名場面も、はじめて見た。股旅物があまり好きでなかったこともあり、これまでは、劇中劇だとか、パロディでしか見たことがなかったから。その堂に入った立ち姿、呼吸。これが、新国劇を継承した、本家本元の国定忠治なのかと、つくづく見た。
この場に控える子分が高山の定八(森田優一)と清水の巌鉄(中川歩)、土蔵大捕物で、忠治を守って大立ち回りを演じるのも、このふたり。結句、この両人が、忠治のいちばんの側近だったということなのかしら。

天神山のおいしいところで現れる日光の円蔵(東大路昌弘)が切れ者らしくセリフを聴かせた。


一転、兇状旅の途中で、百姓父娘(御影伸介、平井愛子)を救う山形屋の場では、笠原忠治が硬軟とりまぜての達者な芝居。脇に回っての特別出演、緒形拳山形屋籐造役を楽しそうに演じていたのも印象的。

そして、半郷の松並木に到っての殺陣。あそこで、提灯を燃やすのは、刺客どもが何者かを確認するためなのだねぇ。鮮やかに斬ったあとは、本来なら花道を引っ込むところだろうが、ホール公演のこととて、客席に下りて通路をあとにした。(からみの役者に、けっこう刀を当てる殺陣なのだね。斬るほうの笠原さんを見たのも、はじめてのような気がする)

籐造女房おれん、「植木村の庵室」の尼僧妙真の二役、南條瑞江の存在感。どちらかといえば、出番は少ないが、前者が忘れがたい。

最後の土蔵大捕物は、これが、かの「殺陣師段平」の芝居で知られる場面なのかと思って見た。スタッフクレジットでは、殺陣は笠原章、中川歩となっているから、当時の殺陣がどの程度受け継がれているのかは知らないが、縄や梯子に加えて、目潰しまで使われていた。背中を刀で引くと、その斬られたところが血が出たように赤く染まるのは、どんな仕掛けか。そういう仕掛けの施された演劇用の刀があるのかな?細かくて、ちょっとびっくりした。

土蔵大捕物では、忠治はもはや寝たきりで、自ら起き上がることの出来ない姿。通常の「国定忠治」が、天神山から小松原までで、分家土蔵の場まではなかなか出ないというのは、クライマックスにしては主役に見せ場がないからでもあろう。そこは、あるいは、作者の批判精神の表れかも知れないが、天神山での雄姿との落差は、ヒーローものの幕切れとしては、哀れである。


終演後に、オールキャストのカーテンコールが付いた。メインキャストは、中央に笠原章、前列は下手側に劇団員が、上手側に緒形拳清水彰(川田屋惣次)、新田純一(板割の浅太郎)、他参加の面々。

緒形拳さん、清水彰さんはすでに着替えての登場。両所と、笠原座長、南條さんからあいさつあって、客席三方への礼にて幕。


それにしても、「加賀の国の住人、こまつごろうよしかねがきたえしわざもの、…」ってさ、お家に帰ると、つい、ちょっと、やってみたくなっちゃうよね(笑)。

この模様、よろしく、ということで、この項、了。