検索してみたら



少し前に、「ジョヨボヨの予言」の「ジョヨボヨ」で検索して出て来たインドネシア関連のwebページを読んだことを書いたが、



今度は、「ブログ 閉鎖」「サイト 閉鎖」で検索してヒットしたwebページを拾い読みしてみた。おもしろい。そのページやウェブログのなかのリンクをたどって行くと、さらに面白い。

「沈黙のオーディエンス」なんて言葉を、今更ながら知った。私は、「沈黙のオーディエンス」って、好きだな。黙ってどんどんアクセスしてくれたら、とてもうれしい。



煮詰まったりネタが枯渇して、やめますとかしばらく休みますと宣言した途端、書きたいことが出て来た、なんていう話には、そうそうと頷いてしまう。ただ、更新停止には、運営上の「事情」がある場合があるし、ブログの場合、特定のログにだけ異常なアクセスがあるようなときに、ちょっと間をとって様子を見たくなる。



閉鎖してもコンテンツ(ログ)を削除せずに残しておけ、という訪問者サイドからの意見が存在しているのには、驚かされる。サイトの趣旨、内容にもよるだろうが、私は、賛成出来ない。たとえば、俳優、タレント等のファンサイトの場合なら、つくっただけで、同じファンの一定数から憎まれることは避けられない。支持してくれるひとがいてもそれと同じくらいのひとから批判的に見られていることはまちがいないから、やめるときは、きれいにやめるか、少なくともコンテンツを整理するべきではなかろうか。



一部の大手サイトや人気ブログならともかく、一般的な個人サイトやブログは、一日の訪問者が数百人程度では、影響力などは皆無ともいえるが、それでも、いつ誰れの目に触れるか知れないのがネットのむずかしいところで、思いがけないときに思いがけない反応があって対応をあやまる危惧は常にある。



拙ブログは、観客の立場から子役のことを書いていますが、苦情があれば該当ログ等の削除に応じる用意でいます。子役本人や関係者は、ほとんど見ていないでしょうが、ネットで話題にされること自体、嫌うむきもありましょうし、いつ苦情が来るかの綱渡りのようなもの。



経験的に、閉鎖についていうと、継続のモチベーションが下がっているときに、他サイトに引きずられることがある。いつも見ていたサイトが閉鎖したり、交流のあった方のサイトがなくなるなどをきっかけに、もういいかな、と思ってしまう。観客系は、同じ舞台(作品)を取り上げても、観劇の時期や見たキャストに隔たりがあると共鳴し辛かったり、思い入れに温度差が生じやすい。観客としての世代間格差(年齢ではなく、観劇時期によるギャップ)は、その溝を埋めづらい。そんなことから、ふっと虚しくなると閉鎖の危機。



また、サイトの閉鎖は、苦情やトラブルによるよりも、各種の自滅や放擲がほとんどだろう。テキストサイトは、書いた文章が、書き手自身へのプレッシャーにもなる。



・・・じつは、こんなことを書いているのが、いちばん危険。